死ぬまで 生きる。

主観的で個人的な日常生活について

ままならないことばかりでしょ。(←大げさに言ってます)

メールを開いたら

「自分が朝方か夜型か、知っていますか」というタイトルのメールが目に入ってきました。

 

学生の頃私は自分のことを朝方だと思っていました。テスト前日とかもとりあえず寝て、朝早く起きて勉強して時間あれば少しだけ仮眠していくような学生だったので、大人たちが「朝活」とか言ってるのを聞いて、「まぁやろうと思ったら余裕」なんて思っていました。

 

社会人になり、残業したり夜遊びしたり、現在に至っては夜に授業を受けてみたりしている私はどう考えても朝方ではない。

 

もう、ギリギリまで寝てる。夜中まで電子コミックとか布団の中で読んじゃう。睡眠に悪いとはわかっていても。本当に眠いときは読む元気もないし、テスト前とか神経が高ぶってるのか眠れないことも多いから気分転換と言い訳して。

 

以前の私なら、この朝型か夜型かという問いに対して、どうかな自分の能力が生かせるのはどっちかな?って考えたと思う。でも、もう分かった。

朝方とか夜型とか、もう、気にしない。やりたいことややるべきことが朝にあるなら朝早く起きるし、それが夜にあるなら夜に活動するだけだ。世間は私の都合の良い時間に動いてくれないんだから、自分があわせるしかない。という気持ち。

 

まぁ当たりまえなのだけど。

 

でもさ、そんな当たり前のことに疑問を投げかける言葉も世の中には溢れてる。

そういうのを見て心が揺れることもある。

 

どんなに理想を語られても現実では無理でしょってネガティブな気持ちが膨れることもある。

 

なので、わたしは世間の言う”理想”や”最先端”が今の私にとって必要なことかどうか。だけを考える。健康的な朝方生活よりも、仕事と勉強を両立させられる今の生活の方が今の私には必要。逃げられない残業と責任が発生する高収入の働き方より、ある程度時間で帰れる今の働き方が都合がいい。

 

理想をただの夢物語のように捉えてしまうのも嫌だけれど、

理想を追って理想に見合わない現状や自分に落ち込む必要はないと思うし、なにより今目の前の大切なことを見失うこともしたくない。

 

数多くの”ままならないもの”の間をいい感じに流れて(流されて)行きたい。