死ぬまで 生きる。

主観的で個人的な日常生活について

年齢の壁<<<<同期という仲間意識

大学に入学した時、学科単位で自己紹介する機会があって、その中で1人だけどう見ても”大人”の同期がいました。

何となくお互いに壁を作りあっていて、ほとんど話すこともないまま卒業してしまったことを今でも覚えています。

鍼灸の勉強を始めようと決めた時、自身や周りの年齢が気になりました。

いわゆる学校じゃないから別に友達とかできなくても、困らない。夜学だし、そんな学校行事も強制参加とかじゃないだろうし、、、と”ぼっち生活”もある程度覚悟していました。

 

蓋をあけてみると……。

今私は年齢や背景は全く関係なく笑い声の絶えない環境で勉強をしています。誰かが休んだら誰かがノートをさっと貸す。仕事で遅刻や欠席が多い仲間にも声をかける。(なんなら弄る)

運が良かったとしか言えないのですが、とても雰囲気の良いクラスです。最年少と最年長の年の差は孫レベルだし、仕事もバラバラだし、男女比もバランス良く…本当に多種多様で、それが良かったのかもしれないです。もちろんちょっと苦手なひともいないとは言わないけれど。それ以上に尊敬できる仲間の集まり。

 

成績が悪くても「やばい!」って言えば誰かが助けてくれたり励ましてくれたりするし「追試や……」って落ち込めば「自分も!」って言いだす人とかいるから心強い。

 

全員ヒトの体に触るお仕事を目指しているわけだから、やっぱり生理的に無理と思われがちな人だと難しいだろうな。と思うし、また行きたい!と思える「人間力」が大切なお仕事だと思う。そういう意味で「向いている」人が多い環境です。まぁ…皆中年以上の年齢が多いので競争心むき出し!みたいな人がいないっていうのもあるのかな。。。分からん。ムードメーカー的存在がいてくれたのも大きい。大感謝。

 

もし「私は勝手にやるから他の人も勝手にやって。慣れあう気ないから」みたいな空気を出している人がいたらこうはいかなかっただろうな…。と思うので最初っから「一人でもやるし!」オーラを出さなくて良かったなぁ(笑)と思いました。

 

慣れあう必要はないかもだけど、慣れあわないぜオーラを出す必要もないよね。出来るなら仲間として切磋琢磨できる空気つくりはひとりひとりの意識の持ちようだよな…。とシミジミ思っております。

 

何が言いたいかというと”大人ばっかりの学校生活、楽しい”ということです。

小学生~高校生みたいなやり取りをいい大人たちがやっています。

仲間がいるから勉強も頑張れるってこういうことだったのか。と生まれて初めて知りました。