努力で変えられないことで排除するような社会なら、いっそ
足立区議の発言が、あちこちで物議を醸しだしていますね。
LGBT差別的発言の足立区議、謝罪拒否「不快と思っても別に良い」 - 毎日新聞
私はとても幸いなことに、今まで出会ってきた知人友人のなかで、LGBTであることを告白されたことや、身内が多いパーティーで知り合った男性が、隣の男性を紹介する際に「彼僕のパートナーだよ」と素敵な笑顔で紹介されたりしたことがあり、同棲を愛することを特別なことだと思っていません。(トランスジェンダーについては、ここではお話するべきことではない(より簡単に語れない)ように思うのでここではあくまで同性を愛することについてお話させてください。)
もしかしたら、私だっていつか同性を好きになるかもしれないし。
実際異性との結婚生活を経てから同性を愛する自分自身に気づかれるかたもいらっしゃいますし。
だれを愛するか。は性別ではないのかも。と思っています。今まで好きになった人がたまたま「異性」だった。ただ、それだけ。
ただ一方で、白石区議のようにそれを「受け入れられない」人がいるのも、まぁわかるんですよ。だってそういう時代に生きてきてその思考ががっつり自分自身のアイデンティティに組み込まれているだろうから、自分が何十年も「正しい」と思ってきたことを貫いているだけなんだと。
ただ、LGを認めたら子供が生まれなくなって滅びるっていう思考回路はどうなの??
子供を増やさなきゃ、子供を産みやすい育てやすい環境にしなくちゃっていう思いがあるのは、分かる。
でも、そういう思いを持った方から出てきた発言が、たとえ話が差別的であったことが何より悲しい。mainichi.jp
このおばあちゃんのお手紙。自身の息子さんのこと、その先の世代のことに思いを寄せたこのお手紙の内容が、この方の心に届いて欲しい。
白石区議は「子供を産める環境を」と言ってくれているけれど、それって彼が思う「普通」の人が生活する上での制度の拡充でしかないんだろうなぁ。と。
一方で「生まれてきた子がハンデを持っていたり、LGBT当事者だったら??」という産む側の気持ちを一切考えてくれていない。たとえ生まれた時にこの方が思う「普通」であったとしても長い人生のなかでは何が起こるか分からない、その「普通」から外れた人々については???
好きになった人が同性だっただけで差別されるような、そんな社会で安心して子供を産める???
LGBTじゃなくても、たとえ目に見えるハンデを持っていなかったとしても、生まれた子の性質がその時の社会に馴染めず、未来への希望を見いだせずにいたら??全部”親”の責任にされてしまうのだろうか?そんな社会じゃ怖くて産めないと思う。
まぁ私が必要以上にビビりなせいかもだけど。
……っていうようなことを、20代の半ば以降ずっと考えてた。そしてそれだけじゃないけどその結果未婚の道をひた走っている今。(後悔はしていないけど、もっと違う、、、結婚が当たり前で女性の選択肢がない時代とか、もっと先の、本当の意味で多様性が認められた時代なら多分違う生き方をしてたと思う)
もちろん、ひたすら怠けて他人に迷惑がかかるような生き方をしても守られる社会を是としているわけではありません。
ただ、自分の努力ではどうしようもない問題にぶち当たった時でも、ちゃんと希望を見出せる社会であればいいと思う。
たとえばシングルマザーになった時、人よりちょっと苦労はしても死にたくなったりはしなくて良い社会であって欲しいと思う。
周囲に理解者がいなくても、少し勇気をだして手を伸ばせば支援してくれる人がいる社会であって欲しいと思う。
成功しているように見える人が自ら死に向かっていったり、炎上に加担したりっていうニュース見ていると、経済的に恵まれていれば”生きていける”って信じられた時代は、終わりかけてるんだと思う。
”生きているだけで丸儲け”と思える社会は従来型の”経済支援”では創りあげられない気がしてならない。
じゃぁどうすれば???って言うのは私には重過ぎる問題なのだけれど。
多様性の時代と口で言いながら、理解できないものをバッサリ切り捨ててる(無意識に)んだろうな。と思うことが多い。同時に私も誰かを知らないうちに切り捨ててしまっていないだろうかと不安になる。ただその根底にあるのは「無知」のせいって気もする。でも「知る」って機会に恵まれないとなかなか難しくもある……。
ぐるぐるぐるぐる。モヤモヤモヤモヤ。してしまう。