小さな主語で創られたものから感じた広い世界もしくは世界との距離感のお話。
年が明けて1週間たっての本年初ブログが昨年の話というところに思うところもありますが、年末に感じたものを文字に落としてみようと思ったのが今なのだから仕方ない。
ということで。
紅白で夜に駆けるを始めてちゃんと聞いて「ダウンロードしなくては!」となりました。
正直なところ私はボーカロイドの良さにそこまで乗っかれず、YOASOBIさんが若者に人気!という話を聞いてもボーカロイドみたいな歌だな~としか思っておらず、ちゃんと聞く機会もなく、ジェネレーションギャップかな…トシとったな…と思ってたのです。
でも紅白でのパフォーマンスを見て、その世界観をちゃんと知ってウズウズしました。
歌詞のもととなったのは、タナトスの誘惑というWEB小説ということですが、読んでいなくてもその世界観に触れられたような感覚が襲ってきて本当に一つの物語を読んだかのような錯覚に陥りました。めっちゃ本読んでみたくなる。
個人的な感情を言葉にしつつ、架空の世界を感じさせる曲ってファンタジー小説を読んでいるような気持になる曲ってなんだかワクワクする。
アニソンってその典型だと思ってて、個人の感情だけじゃなく世界観まで体験させてくれるから人気出やすいのかなーと思ったり。
LISAさんの炎とか原作読んでる人とか涙腺崩壊する人多いと思っている。年明けに天気の子見てて、RADWINPSさんの曲聞いてる時も身もだえ。
ところで、いま私”架空の世界を感じさせる”曲と書いたのですが同じ”架空の世界”でも時代によって人気のある世界観」って違うよなぁと思っていて。
その中でも”夜に駆ける”は本当に”イマ”だからこその世界観なのではないかな。と思ってのですよね。Z世代とかデジタルネイティブと呼ばれる世代がもつ世界観を強く感じさせる作品のように思えました。
夜に駆けるを聞きながら、私はTwitterでバズっていた同じくZ世代でマルチクリエイターとして活動する南村さん(https://twitter.com/jocojocochijoco )のことを思い出しました。
あくまで個人的に感じていることですが、彼、彼女らの創り上げるものは他人に対して”ポジティブに生きよう!”とか”そんなのでいいの?”とかいうおせっかいなメッセージ性が見られない気がしていて。
振り返ってみれば私たちは、〇〇すべきとか〇〇したほうが良いよ。とかそんな考え方だからダメなんだよ。とか。良く知らない誰かからのメッセージが溢れている世の中で生きてきたように思うし、今でもそういうメッセージはあらゆるところから発信されていて私たちは良くも悪くもそういう言葉に心を動かされながら生活している気がするのだけど、そういうもののが感じられなくて。
何というか、自分自身が属する(もしくは伝えたいと思う)世界との”距離感”が変わってきているのではないかと。
これまでは、その世界で生きている”自分自身”が主体で、自分(主人公)の言葉が何よりも強く、伝えたい、伝えるべきもので、そこに重点を置いたものが多かったのかもしれない。
でもこの年末年始に感じたのは”ある世界”に置かれた個人がその世界の印象を自分を媒体にして伝えているようなそんなイメージ。…わかりにくいな。
私の語彙力と文章力の問題がかなりネック。
うーん、、、、、なんていえばいいんだろう…。
「私はこのエピソードからこういうことを思ったよ(だから作ったよ)」ということをただ伝えたくて伝えている。という印象。自分自身のメッセージで世界を丸ごと変えてやるという熱さはないけれど、その分伝えたい”世界観”の輪郭が明確な気がしていて、それがとても強いメッセージになっている気がしている。「こういう世界があって私はこう思ったんだけど貴方はどう思うかな?」と問いかけられている気分になるというか。
声の大きい誰かが”正しい生き方”を誰かに伝えてそれをルールとして引っ張っていく時代が終わって、自分が生きていく中で感じたことを何かの結晶みたいなものにして人に見せることで、個々が個々に問いかけて、受け取った側がそれぞれ色々考える。
誰かが思う正解に他が追従するという時代は本当に終焉を迎えているんだろうなー
でかい主語使ってるけど実際はちっさい個人の主張を押し通せた時代から
小さい個人の感想に見せかけてその背後に広い世界を感じさせる時代へ。
そんなふうに表現が変化しているよなー
なんてことを徒然に思っているうちにお昼。