死ぬまで 生きる。

主観的で個人的な日常生活について

死ぬまで生きる。というブログ名について少しだけ、お話してみる。

開設から、1か月以上たちました。

毎日更新できていることに一番驚いているのが私です。

そしてもっと驚いているのが、何の利益にもならないような記事を読んで下さり、反応を下さる方がいらっしゃるということがもっと驚きです。恐縮しつつ、感謝感謝。

 

で、今さらなのですがこのブログのタイトルについて、少し。

 

死ぬまで生きる。というのがこのブログのタイトルです。

なんだか重いというか大仰な感じです。で、タイトルがそんな感じなのに、日々投稿しているもののほとんどは、ほんとうにタダの日記というかその日に思いついたことばかりです。でも、それも私の「生」の欠片であることは間違いなくて、そういう小さな小さな取るに足りない出来事や感情は「生きている」からこそ生まれるものなんですよね。

 

生死というのは、特別なものではなく当たり前のものであり、その積み重ねが生きることであり、死が訪れるまでそれを続けていかなくてはいけない。続けていく。という私の気持ちみたいなものが由来(?)になっています。

 

世間的にみた私のスペックって、いわゆる「弱者」とか「負けぐみ」に分類されがちなんですよね。【派遣社員・独身、子供なしのアラフォー】正直、何が楽しくて生きているのか分からないとか、努力がたりないんじゃないの?とか言いいたくなる人もいるんだろうなーって思うことはあるんですよね。先のこと考えてんの?とか。

たしかに仕事も人生も中途半端なんですよ。もしろんそんな自分を手放しに肯定しているわけでもないです。

でも、こういう風な生き方を今している理由は過去にちゃんとあって、過去の私は私で頑張って考えた結果の今なんですよ。むしろ、こんな人生もう嫌だ!死にたい!……とか、思いがちだったのは社員の時とかのが多かったかも…。恋愛とか結婚とかに関してはまた別の色んな…面倒くさい私の性格が災いしまくった結果だからな…。って思うし、死なないと決めた以上生きるしかないし、生きるなら自分が出来る限り「心地よく」生きていきたい。自分から死にたくならないためにも。

 

そういうのは、「肩書」や「年収・総資産」みたいな分かりやすいものじゃ測れないんですよね。ときに他人と比べてしまいそうな自分を宥めつつ、生き抜く。

 

ヒトって、いつ死ぬかなんて本当に分からないです。

たとえ今日元気でも、明日死ぬかもしれない可能性は本当は誰にだってあるんですよね。そう思うから。ダラダラしてしまった日だってちゃんと「生きていた」ただそれだけでマル。という気持ちもどこかで持ち続けられるように。

自然に死がやってくるまで、「生きる」。「生きている」たとえ死んでるように生きていると思える日があっても、「生きている」とうことを忘れないように。

 

……こういう話はもっと夜とか時間をかけて書くものですね。でも最近落ち込むニュースが多くて書きたくなっちゃったんですよね。これからあまり「ゆるくない」(私的に)なお話もポツポツかいていくつもりなのですが、そういうのってエネルギー使うよなぁ…と思いつつ……本日は筋トレ頑張ったので早くも眠いので、ここまで。