死ぬまで 生きる。

主観的で個人的な日常生活について

老後の心配何て始めたら尽きないものだけど、なりたい「おばあちゃん」像はあるんだ。

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

というの文字が目にとまり、ちょうど祖父母や自身の歳の重ね方について思うことの多い時期だったで、今日はそれについて書いてみます。

 

今月の初め、祖父が亡くなりました。昨年亡くなった祖母とは評判のおしどり夫婦で私にとっても理想の「夫婦」でした。

 

2人とも90代だったのですが、晩年は2人して認知症がすすみ、ふとした瞬間に子供の顔と名前が分からなくなってしまうときもありました。私のことも分かってもらえず「名前は良く聞くけど…」みたいに言われたことがあります。でも覚悟してたのと祖母の言い方が可愛かったのであまりショックではなく。むしろそんな状態でも祖父に対して「死ぬまで一緒。死んでも一緒」と優しく語り掛ける祖母の姿がとても印象的でした。

祖父より長生きして祖父を看取ると言っていた祖母が先に亡くなった時、祖父は数分前の会話も忘れてしまう状態だったのですが、その時は考え込むように静かに押し黙り祖母の死を理解している様子だったそうです。実際それ以前は施設で祖母と離れているとその姿を探す素振りが多かったのですが、その後はそういう話も聞かなくなり。。。

それから、ちょうど1年。祖母が亡くなったのと同じ季節に祖父も祖母のもとへ。

 

結婚するなら、2人のようになれそうな人と。そうずっと思っています。でもそういう人に出会えてないから、うん、独身でもいっか。という現在。

 

ただ、この約10年。2人のかかった認知症っていう病気の残酷さを思い知らされることも少なくなかったです。

当たり前にできていたことが出来なくなる。少し前のことを忘れる。

大切な思い出や大切なひとのことも、分からなくなる。

本人は分からないことすらわからなくなっていることもあるけれど、忘れていくと気が付いた時の恐怖はどれほどのものなのだろう。とか忘れられる側のやるせなさとか。

筆舌に尽くしがたいというのは、こういうことじゃないかと。

なので、

祖父と祖母は理想の夫婦だったけれど、

私個人としては、90歳過ぎても頭も肉体もめちゃくちゃ元気な大叔母を見習いたいと思っていて。彼女は数年前に夫を亡くし子供はいません。住まいが遠方のため頻繁に行き来するということは出来ないのですが、絶賛「おひとり様」を満喫している様子が不定期に報告されてきます。

先日に至っては最近不調気味な母が叔母にポロリと愚痴をこぼしたところ「もっと近くに住んでたら手伝いに行ってやったのに」と言われたそうで。言われた母は「90超えてる人に体調&体力心配されるっていうのも…」と苦笑いするしかなかったそうです。

 

思考も体力もしっかりしているうえに、いつも小綺麗な恰好をしている人で、子供の頃はよくプレゼントに洋服をくれるような、そんな伯母。そして料理も上手で今でも自炊。

90歳過ぎの女性の一人暮らしなので心配なこともあるのですが、(比較的近くにいる伯父がしばしば様子を見に行っているとはいえ)もの凄い元気で電話をするとむしろこちらが元気づけられることが多々ある素敵な人です。

 

おばあちゃんと呼ばれる歳になっても、そうやって周りに心配されるのではなくて元気を与えてあげられるような人生を送りたいと切に願うとともに、

何が出来なくても健康だけは失わない努力だけは続けていかないといけないなと思う今日この頃です。