40代で新しい生きる術を身につけられているはず。でも実際のところ未知。
あぁ、連日ブログ書けるのももう終わりだなぁ…新学期始まるし。と思いながらブックマークをクリックしたらこんな記事が目に飛び込んできた。
なんとなく、もしどうしても好きでこの人の遺伝子を残したいと思えるような人に出会えたら36歳までに産みたい。と思っていた。
36歳になって、特にこれといった結婚願望もおぼえず、これはもうこのまま好きに生きろというお告げということやなと思い、
ならば、今あるお金はまだ少し自分のためだけに使えるお金があるじゃないか。これからの生き方をどうしよう。となってしばらく何も見つからずにダラダラっとそれなりに楽しく過ごし、めぐりめぐって興味と勢いで鍼灸の門を叩いた私。
順調にいけば40代は鍼灸師と名乗れるようになっているはず。
とはいえ、実はまだどんな鍼灸師になりたいか決められていない。
学ぶうちに見えてくるかなと思っていたけど日々の勉強に追われてそこまで頭が回らない。将来への不安を感じたり妄想したりする時間がないからこそ、目の前の勉強に集中できてるとも言えるかも…と思ったりもする。
特別ワクワクするわけでもないけれど、人生を豊かにする知識と技術、それも自分だけでなく周りの人の人生も少しご機嫌に出来る技術を身につける。それをどう活かそうか…。
40代…不惑…ねぇ…。死ぬまで迷うよ。多分、私は。
このブログのタイトルにしているけれど、私は多分「死ぬまで 生きる」しかできない。
そこには、一生青春とか人生楽しもうとか、生きた証を残したいとかそういうテンションは基本的になくて。
死にたいような気持になっても、生きることに対して何となく前向きになれてるときも、とりあえず「生きる」自分がいま生きていることを忘れない。心臓か脳が動きを辞めるその時まで。焦らなくてもその時は必ず来るから。
そう考えたら、40歳になることよりも、40歳になったときの自分の体力や気力が目下最大の興味。その歳になった時にその時の体力と気力と気分で生き方を変えていかな。と多分生きるの嫌になりそうだな。
ってここまで書いてて思いました。終。